ネクタロームとの出会い⑤

天皇陛下とモハメッド・ゼクリウイ氏

モハメッド・ゼクリウイ氏は、モロッコ・マラケシュのイスラム学者の家系に生まれ、幼少期から日本に強い憧れを抱き、空手を学びました。1970年代に画家の中西勝氏がモロッコを訪れた際、モハメッド氏の家に半年間滞在したことが縁となり、彼は神戸へ移住。神戸では、世界各国の民工芸品のバザーを開催し、日本とモロッコの文化交流の橋渡し役として活躍しました。
また、大阪万博のモロッコパビリオンの誘致にも尽力し、彼の活動が評価され、モロッコ国王ハッサン2世より最も位の高い勲章を授かるという栄誉に輝きました。

モハメッド氏は、当時の皇太子であった天皇陛下をモロッコにお招きするため、モロッコの外務大臣に働きかけていました。ついに1991年、皇太子(現在の天皇陛下)がモロッコを訪れることとなり、モハメッド氏はマラケシュ空港でお迎えし、3日間にわたり案内役を務めました。その中で、特に印象的なエピソードが「空白の20分間」として知られています。

当初の予定にはなかったマラケシュの観光名所、ジャマ・エル・フナ広場を訪れるというアイデアは、モハメッド氏によるものでした。彼は天皇陛下に美しいマラケシュの夕焼けを見せたいと、大臣らと馬車に乗せる計画を立てたのです。マラケシュ空港に到着し、ホテルへ向かう途中で、予定外の寄り道が行われ、公園の入り口で馬車に乗り換え、陛下はヤシ林の向こうに沈む夕日を鑑賞されました。

当時はまだ携帯電話が普及していない時代で、後続の随員たちにはこの行き先が知らされず、陛下が消えたように見えたため、侍従長たちは取り残されました。記者のバスが彼らを「救出」する形となり、その際、侍従が「殿下は拉致されたようです」と発言し、周囲は一時騒然となりました。

その後、20分ほど経過して、ようやく大使館員の無線機に「殿下はジャマ・エル・フナ広場にいるらしい」という連絡が入りました。急いで広場へ向かうと、天皇陛下は大群衆の中を悠然と歩かれており、警備陣が作ったスペースで歓迎を受けていたのです。
この広場は、蛇使いや猿回しなどの大道芸人が集まり、賑やかな屋台が並ぶスポットで、日本では考えられない光景でしたが、モハメッド氏達の粋な計らいにより、天皇陛下にマラケシュの庶民的な一面を体験していただくことができたのでした。

その後、阪神大震災を契機に、彼は何も持たず、1日5回の祈りと神への忠誠を糧に世界を放浪する旅を続けました。その生き方は、物質的なものに囚われず、信仰と心の充実を重んじた独特な人生観を象徴しています。

▲天皇陛下を出迎えるモハメッド氏
▲天皇陛下の隣でマラケシュ市内を案内するモハメッド氏
▲モロッコ国王に謁見するモハメッド氏
 
 
 

関連記事一覧

  1. ネクタロームとの出会い - モロッコの魅力とアルガンオイルとの出会い
  2. ネクタロームとの出会い - モロッコの魅力とアルガンオイルとの出会い
PAGE TOP
error: コンテンツは保護されています。