文章: YOUR ORGANICS 代表 ツェヒナー未來
はじまりはパリから
2000年、私はパリに移り住んだばかりで、全てが手探りの状態でした。経済的にも苦しく、フランス語がほとんど分からない中での日常は、言葉の壁にぶつかる度に自分の無力さを痛感させられるものでした。そんな私を助けてくれたのが、新聞にビジネスパートナー募集の告知を出したのがきっかけで知り合ったモハメッド・ゼクリウイ氏でした。彼はモロッコ出身でありながら日本語が堪能で、混乱の中にいた私にとって、頼りになる存在でした。
彼は私の父親ほどの年齢で、次第に私は彼を父のように慕うようになりました。モハメッド氏はとても厳格なイスラム教徒で、日に5回の祈りを欠かさず、女性とは握手もしないほどの礼儀正しさを持ち合わせていました。そんな彼の慎ましさと誠実さに、私はいつも安心感を覚えていました。
彼は私がどれほどフランス語に苦労しているかを知っており、そんな私を何度も助けてくれました。無料でフランス語を教えてくれる日本人講師や長くパリに在住している素敵な日本人女性を紹介してくれたり、パリのアラブ人街を案内してくれたり、モロッコ大使館のパーティーに招待してくれたり、普段会えないような著名人と会わせてくれたりと、彼のおかげで私は異国の地で多くの特別な経験をすることができました。
また、彼と私の誕生日が同じ日だったことも不思議な縁を感じていました。
▲2001年、モハメッド氏とパリにて
▲右から2番目がモハメッド氏・右から1番目がパリ在住の素敵な日本人女性ウメハラ氏(パリで行われたモロッコ大使館の建国記念パーティーにて)
泥棒事件
パリに住んでから暫くして、予期せぬ出来事が私を襲いました。ある日、アパートに帰ると、ドアと窓が不自然に開いていました。恐る恐る中に入ると、部屋は荒らされ、貴重品がすべて盗まれていました。私の財産と呼べるものは全て消え失せ、手元には携帯電話だけが残っている状況でした。その日に限って財布を忘れて出かけていたのです。
フランス語が話せない私には、警察に連絡をすることさえ困難でした。電話をかけても、英語が通じず、無情にも電話を切られてしまうという絶望的な状況に陥りました。誰も助けてくれない孤独感に押しつぶされそうになりながら、私はモハメッド氏に電話をしました。彼は夜中にもかかわらず、すぐに駆けつけてくれました。
「外に出てきて」と言われ、彼の姿を見た瞬間、私はほっとしました。彼は500ユーロを手渡しながら、「これでなんとかしてください。返す必要はないから。泥棒と鉢合わせしなかったことが何よりも幸運です。」と言ってくれました。私は部屋を見せようとしましたが、彼は「申し訳ないが、女性の部屋には入れない。」と丁寧に断りました。その時、彼の信仰に基づく揺るぎない価値観と、人としての誠実さに改めて感動しました。
この500ユーロのおかげで、私は2週間をしのぎ、保険など必要な手続きを進めることができました。モハメッド氏の支えがなければ、私はこの困難を乗り越えることはできなかったでしょう。
その後、私はドイツに引っ越すことになりました。
モロッコの魅力とアルガンオイルとの出会い
モハメッド氏の影響で、私は次第に彼の故郷であるモロッコに興味を持つようになりました。そんな私のために、彼はモロッコへの旅行を手配してくれました。彼の友人や親戚が現地で私を迎えてくれ、一人旅にもかかわらず、まるで家族の一員のように温かくもてなしてくれました。この旅で、私はモロッコの美しい文化に触れるだけでなく、そこで「アルガンオイル」という驚くべき美容オイルに出会いました。
私の肌は長年アトピーや乾燥に悩まされていましたが、このアルガンオイルを使った瞬間、その効果に驚きました。肌にすっとなじみ、ベタつかず、保湿力が高いため1日中肌がしっとり持続するまさに私が求めていた理想のオイルでした。暫く使っていたところ、アトピーが消え、肌がほとんど乾燥しなくなりました。
▲初めてのモロッコ・マラケシュにて(フナ広場で見つけたノミだらけの子猫を置いていくことができず、ドイツに連れて帰りました。)
ドイツから日本へ
フランクフルトでの5年間を経て、私は結婚を機に日本へ帰国しました。
モロッコで出会ったアルガンオイル、その驚くべき効果を日本に広めたいという強い想いがありました。日本での新しい生活が始まると同時に、私はこの貴重なオイルを日本市場に紹介しようと決意しました。しかし、当時の日本はまだ「オーガニック」や「アルガンオイル」といった概念が浸透しておらず、美容の世界でオイルを使うという考えさえ広まっていませんでした。
私は西武百貨店の美容部員にアルガンオイルの使い方を教え、製品の良さを熱心に説明しましたが、日本の市場に受け入れられるのは想像以上に難しいものでした。努力は報われず、私はついにアルガンオイルの販売を諦め、別の事業に専念することにしました。
モハメッド氏との関係も、彼がサウジアラビアに移住し、その後マレーシアへ渡ったことで疎遠になってしまいました。
彼から一度、マレーシアに招待され、再会の喜びを分かち合いましたが、その後、私たちはお互いの連絡先を失い、連絡が取れなくなったのです。
連絡が途絶えたまま、時間が過ぎていきました。
再び訪れたチャンス
2017年のある日、ドイツに住む知人から一本の電話がかかってきました。「モロッコに素晴らしいアルガンオイルがある」という話でした。
そのブランドの名は「ネクタローム」。
彼らのアルガンオイルの質は驚くほど高く、しかもまだ日本には進出していないというのです。日本ではあらゆる有名なメーカーが既にアルガンオイルを販売しているので商機はなさそうだと思いましたが、私はすぐにネクタロームの商品を取り寄せて試してみることにしました。
アルガンオイルを一度知っている私でさえ、その品質の高さには驚かされました。昔使用していたものとは比べ物にならないほど優れたこのオイルを、日本に広めるチャンスだと確信しました。
こうして、私はネクタローム社と契約を結び、日本で彼らのアルガンオイルを広める道を歩み始めました。
この新しい出会いが、私のビジネスの新たな幕開けとなり、今でもその歩みは続いています。しかし、全ての始まりはモハメッド氏との出会いからでした。
モハメッド氏との再会と巡り合わせ
2019年の年明け、私は偶然Facebookでモハメッド氏の名前を見つけました。彼のプロフィールには全く活動している様子がなく、連絡先も載っていませんでしたが、私はメッセージを送り電話番号を残しておきました。連絡が来るかどうかも分からず、期待を抱くことなく日々を過ごしていたところ、約1か月後、突然電話が鳴りました。
それは、何とモハメッド氏からの電話でした。
暫くの雑談の後、「みきさん、今、ネクタロームを日本で売っているでしょう?」という彼の言葉に驚きを隠せませんでした。
なぜそのことを知っているのかを尋ねると、彼は落ち着いた声で答えました。「それはネクタロームの社長から聞いたんですよ。」さらに驚きが続きました。
「どうして社長を知っているの?」と問い詰める私に、モハメッド氏は静かに笑って言いました。
「ネクタロームの社長は、僕の幼馴染なんですよ。僕のマラケシュの実家の前が彼の家だった。昔、彼に空手を教えていたことがあってね。僕はその頃からずっと日本に憧れていたから。」
私はその言葉に息を飲みました。長い間途絶えていた連絡が、こんな形で再び繋がるとは夢にも思いませんでした。
モハメッド氏はさらに続けました。「実は先月、ジャリル(ネクタローム社の社長)が僕に会いにマレーシアに来たんですよ。その時に、みきさんがネクタロームを日本で売っていることを初めて知ったのです。」
さらに驚くべきことが明かされました。「彼はね、大学教授をしているけれど、このビジネスがどうしてもやりたくて、僕がお金を出して国から広大な土地を買ったんですよ。それが今のオーガニックガーデンなんです。」
▲ネクタローム社のオーガニックガーデン
信じられない思いでした。
モハメッド氏が、ネクタローム社の創始者でもあり、社長の幼馴染であったとは。何年にもわたる時間を超えた再会が、私たちの物語を繋ぎ直したのです。この運命的な巡り合わせに、言葉にできない感動が胸を満たしました。
モハメッド氏が私に示してくれた道、そして彼との再会が、今日の私の原点でもあり、その恩は計り知れません。
人生は予測できない出来事や思いがけない巡り合わせが訪れ、驚きの連続ですが、それでもすべてが縁で繋がっていることだけは確かです。
モハメッド・ゼクリウイ氏について
モハメッド・ゼクリウイ氏は、モロッコ・マラケシュのイスラム学者の家系に生まれ、幼少期から日本に強い憧れを抱き、空手を学びました。1970年代に画家の中西勝氏がモロッコを訪れた際、モハメッド氏の家に半年間滞在したことが縁となり、彼は神戸へ移住。神戸では、世界各国の民工芸品のバザーを開催し、日本とモロッコの文化交流の橋渡し役として活躍しました。
また、大阪万博のモロッコパビリオンの誘致にも尽力し、彼の活動が評価され、モロッコ国王ハッサン2世より最も位の高い勲章を授かるという栄誉に輝きました。
1991年には、日本の天皇陛下(当時は皇太子)がマラケシュを訪れた際、空港で出迎え、マラケシュの有名な観光地フナ広場を案内するという重要な役割も果たしました。さらに、阪神大震災を契機に、彼は何も持たず、1日5回の祈りと神への忠誠を糧に世界を放浪する旅を続けました。その生き方は、物質的なものに囚われず、信仰と心の充実を重んじた独特な人生観を象徴しています。
▲天皇陛下を出迎えるモハメッド氏
▲天皇陛下の隣でマラケシュ市内を案内するモハメッド氏
▲モロッコ国王に謁見するモハメッド氏